ฅ灰猫の日記ฅ

どうも、灰猫です。日々過ごしていて思ったあれこれを書いています。

【★から☆へ】時間の話。

どうも、灰猫です。

 

 

 

僕のスマホには漫画アプリが4つほど入っています。

 

そしてほぼ毎日、

 

本棚(お気に入り)の更新分を確認しては読み、

 

その前の話も確認の為に読み、

 

気が向いたら注目作や新連載も読んでみる。

 

そうしていると平気で1、2時間経ってしまいます。

 

 

そんな日々を繰り返していると、ある瞬間にふと思うのです。

 

「こんなに時間を浪費してていいんだろうか」

 

と。

 

 

YouTubeのチャンネル登録然り、Twitterのフォロー然り、

 

好きなものを増やせば増やすほど、

 

良くも悪くもそこに時間が使われます。

 

 

楽しいし、面白いし、日々の色どりではあるけれど。

 

本当に自分の時間を使う価値があるのか、

 

他にやりたいこと、やれることを潰してしまっていないか、

 

そんなことを考えてしまったのです。

 

 

僕は今日、いくつかお気に入りを外しました。

 

少し。

 

ほんの少しだけ。

 

身も心も余裕ができたような気分です。

 

 

抱える荷物が多いほど、足取りは重くなってしまうから。

 

もしまた拾いたくなったら、その時は拾いに行けばいい。

 

 

今はただ、軽くなった分の自由を。

超否定的レビューを見かけた話【中華まんの中身を見ない人】

どうも、灰猫です。

 

 

 

瑛人さんの「香水」という曲、けっこう前から流行ってますよね。

 


香水 / 瑛人 (Official Music Video)

 

 

最近はどこに買い物に行っても店内で流れてるくらい、

 

乗りに乗ってる曲ですよね。

 

 

そんな「香水」は配信限定だそうなんですが、

 

Amazon限定で自主製作版のCDが販売されてるようです。

 

香水

香水

  • アーティスト:瑛人
  • 発売日: 2020/02/29
  • メディア: CD
 

 

 

その商品ページを何の気なしに見ていたんですが、

 

そしたら、めちゃめちゃに否定しているレビューを見かけました。

 

これは「音楽」として成り立っていない”

 

楽曲などとは程遠い不快な雑音でしかない”

 

僕はアーティストのファンでも特別この曲が好きなわけでもないのですが、

 

(曲は買ってないしYouTubeでも聴かない、店頭で流れてるのを聴くだけです。)

 

「こんな酷いことよく言えるなぁ。なんでこんなこと言うんだろうなぁ」と

 

思ってしまいました。

 

 

そこで、どうしてこういった否定レビューになったのか、

 

その思考を僕なりに考えてみました。

 

 

 

例えば、中華まん。

 

俺は中華まんは肉まんしか食わない!!

 

 肉まんしか認めない!!!」

 

という人が、周りで人気のあんまんを食べて、

 

「何これ、まずい!こんな中華まんありえない!!

 

 こんなの中華まんじゃない!!!」

 

と言ったとします。

 

 

この人は、中華まんを食べるとき、それがあんまんでもピザまんでも、

 

肉まんの味を期待して食べているんです

 

「中華まん=肉まん」

 

「肉まんじゃない=中華まんじゃない」

 

という持論を前提に、

 

中身が何なのかではなく、肉まんかそうでないかの判断基準で

 

「こんなの中華まんじゃない!!!」

 

と言っているわけです。


そりゃあんまんを肉まんだと思って食べたら不味いでしょうよ。


 

「香水」の“音楽じゃない”“音楽から程遠い”というレビューもおそらく、

 

「自分の好みじゃない=音楽じゃない

 

という考えのもとに言ってるんだろうな、と思いました。

 

 

 

中華まんは、肉まん、あんまん、ピザまん、カレーまん

 

色んな種類があって、それぞれ好きな人がいるわけです。

 

そんな中で、「これは中華まんじゃない」なんて言ったら

 

顰蹙(ひんしゅく)を買いますよね。

 

香水のレビューも、嫌いなのも気に入らないのも好みだからしょうがないけど、

 

「音楽じゃない」は見ててやっぱり悲しいです。

 

 

 

人間、好き嫌いはあるし、評価を☆1にすることもあるけど、

 

言い方には気をつけたいですね。

 

ではでは。

我々は生きるのに向いてはいないのだ

どうも、灰猫です。

 

 

 

「鳥になって空を自由に飛びたい」

 

とか、

 

「猫になってぬくぬくと暮らしたい」

 

とか、

 

まあ色々と憧れたりするじゃないですか。

 

これって、人間社会に飽き飽きしてくるからだと思うんですよね。 

 

 

人間でいるのが嫌な瞬間ってたまにありませんか?

 

生きるだけなら本能だけあれば十分なはず。

 

でも人間には理性が多大に絡んでくる。

 

何をするにも、何かしないよう我慢するのも理性

 

そんな理性人間社会を作り上げてるんですよ?

 

そりゃあ生きづらいはずだ。 

 

本来、社会で生きるのに向いてないんだ。

 

人間ってやつは。

 

どこのどいつか知りませんが、こんな社会作りやがってからに。

 

生きづらいったらありゃしませんよ。

 

責任者出て来いよ!!!

 

 

でも、そういうものなんだと思っていればちょっとは気楽です。

 

まあ気休めなんですけど。

 

なにか嫌な事があったら、

 

「ま、生きるの向いてないんだからしゃーないか。

 

むしろよくやってるわ。すごいすごい」

  

ってのんきに考えれば多少は前向きになります。

 

しょっちゅうイライラして物に当たったり、むしゃくしゃしてどか食いしたり、

 

落ち込んでふさぎこんだりしたくないですからね。

 

「生きてるだけで丸儲け」とはよく言ったもので、

 

まさしくその通り、生きてること自体が得であり徳なんです。

 

 

生きてれば失敗もする。

 

良くない事も起こる。

 

うまくいかないこともある。

 

そんな中でも、肩の力を抜いて楽に構えていきたいですね。

 

生き物はみな悠々自適な生き方が一番です。

 

難しいことではあるんですけど。

 

それを難しく考えないことがうまく生きる秘訣かもしれませんね。

 

 

 

「鳥になって空を自由に飛びたい」

 

「猫になってぬくぬくと暮らしたい」

 

 

大丈夫。 

 

鳥になんか憧れなくても、気持ちはきっと自由に空も飛べるはず。 

 

あ、でも。

 

やっぱり、猫にはなりたいなあ。

 

 

空も飛べるはず

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  • 発売日: 2017/07/05
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猫になりたい

猫になりたい

  • 発売日: 2012/07/11
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

 

・・・なんてね。

主人公になりたい脇役の僕たちは

どうも、灰猫です。

 

 

よく

 

『誰もが人生の主役』

 

だとか、

 

『自分の人生の主人公は自分』

 

とか言いますよね。

 


あ、別にバカにしようって話ではなくて。

 

ただ、いい言葉だとは思うし、意味は理解できるんですけど、

 

なかなかそういう生き方は出来ないなぁと考えてしまうんです。

 

素直に胸にストンと落ちてこないと言うか。

 

みなさんの中にも、しっくりこないなってい方いませんか?

 

 

 

ふと気づいたんですが、この言葉がはまらない原因は、

 

今までずっと脇役気質だったからだと思うんです。

 

 

子供のころから、かろうじて得意なことは出来たものの要領が良かったわけではなく、

 

苦手なことは頑張っても結果が伴わない事が多かった。

 

頑張らなくても出来る得意なことに対して、頑張っても出来ない苦手なこと。

 

このことから「頑張っても結果に比例しない」という考えが定着してしまった。

 

次第に努力を諦めるようになった為、成功体験が少なく

 

一度でも苦手意識を持ってしまったことには自信がなくなる 。

 

そんなだから自分で自分を見限ってしまうほど自己評価が低いんです。

 

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例えば学生時代。

 

「勉強はやったところで出来ない」と苦手科目は放置して赤点とって補習を受けたり。

 

部活も楽しかったけど、頑張っても優勝は出来ないだろうから

 

「だらだら楽しくやってればもうそれでいいや」くらいの気持ちで、

 

打ち込めてはいませんでした。

 

 

 

おかげで今でも生き方が脇役のまま。

 

出来なくて当たり前で、負け癖がついているので頑張らないし、

 

駄目な自分に満足してしまっているのです。

 


仕事は日々だらだらと、最低限をこなしているだけで向上心がない。 

 

恋人はいないし、気になる人ができても、

 

はたから見てていいなぁってときめいてるだけで満足してしまう。

 

夢はあるけど心の底から叶うとは信じちゃいなくて、

 

恋と同じで、憧れてるくらいでいいとどこかで思っている。

 

目標を達成できなくても、脇役の自分からしたら 「これだけできれば十分だろう」と

 

満足してしまい、あらゆることの上達を諦めている。

 

 

毎日なんとなく生きて、休日はやるせなく家でごろごろして、

 

夜はつまらないまま今日が終わるのが嫌で

 

「面白いことないかなー」と思いながら夜中までスマホを弄り、

 

翌日すこし寝不足で起きて、またつまらない一日を過ごす。

 

 

 

まとめてみると我ながら見事な脇役っぷり。

 

でも本当に、僕の人生、どこかに僕以外の主役がいるんじゃないかと

 

思えてくるんです。

 

誰かの人生の引き立て役にしかなってないんじゃないかと。

 

 

 

正直、この先もこんな生き方が続くのは嫌です。

 

本音を言えば今の自分が嫌いです。

 

目標に届きそうで届かないからこそ悔しくなるもので、

 

最初から届かせる気がないから悔しくもない。

 

悔しさも感じない人生はむなしいだけです。

 

自分にも誰かにも必要とされるような、主人公の人生を送りたい。

 

こんな自分から変われればいいのにといつも考えます。

 

 

 

『誰もが人生の主役』

 

『自分の人生の主人公は自分』

 

言葉は考えるきっかけにはなりましたが、

 

結局、変えていくのは僕自身しかいないんです。

 

背中を押されても、進むには自分で動かないといけません。

 

言葉ひとつで入れ替わるほど心は単純ではないし、

 

今までの人生で染み付いてきた脇役気質をどうにかするには

 

時間も労力もかかりそうですけど。

 

それでも脇役をやめるには、

 

今日から、今から、少しずでも変えていくしかないんです。

 

  

ただ座り込んで「あんな人生うらやましいなぁ」と見上げていた場所に行くには、

 

登って行くしかない。

 

階段は待っていても平らにはなりません。

 

周りの人が2段飛ばし、3段飛ばしで駆け上がれるような階段を、

 

少しずつでも登るしかないんです。

  

1段ずつ踏ん張って、1段登るごとに達成感を得ながら、

 

自信をつけていくしかない。

 

 

いつか主人公になるために。